とわ自由帳

フリースタイル自由帳。

ブログを書く意味

自分がブログを書く意味があるのだろうかと。

世の中にはいろんな人が書いた文章が溢れているし、特に自分が書く考察系なんかはアカデミアな人間が書いた論文の方が100倍先をいってるわけで、そんな中で自分が文章を書く意味があるのだろうかと自問自答するわけです。この自問自答の末にお蔵入りになった記事は数知れず、ようやく出力された文章も大して面白くもなく、読まれてもせいぜいフォロワーくらい(いつもありがとうございます)。こんなんで書く意味があるのだとうか、と考えるのが今回の記事でございます。

結論から言うと、このブログは自己満足の塊であるので、読んでくれる人が一人でもいればそれでいいのだと満足することといたしました。なぜこの結論に落ち着いたかと言いますと、「読んでくれる人が一人もいなくても書き続ける」というのはストイックすぎるけれども、「読んでくれる人が多ければ多いほどいい」というのも自分には合っていないという感じがするためで、ちょうど中間くらいの「一人でも読んでくれればおk」に着地した、という次第です。

文章を綴るにしても、Twitterでツイートしたり、ツイートをモーメントでまとめたり、こんな風にブログにしたり、同人誌として頒布したり、といろんな手段があります。それぞれにそれぞれの特性があるので、ゆる〜く使い分けていこうという次第です。具体的には、ツイートは脊髄反射で、モーメントは一連のものをまとめたりとか、ブログは考えをまとめる時に、同人誌は・・・そのうち出したいですね。

出すならどんな中身がいいんでしょうね、同人誌。自分は絵を描く経験がないので文章主体になると思うのですが、文字だけならブログと大差がないわけで、どう差別化していくかという目処が立ちません。目処が立ち次第制作し頒布すると思います。その時はどうぞよろしくお願いします。しかし新型コロナウイルスも怖いため、頒布するとしてもコロナが収まってからですね・・・。何が怖いって自分が罹るのも怖いのですが、自分の本を買いに来た人がかかるのも怖いのです。例えばマグマに囲まれた中で同人誌を頒布しても誰も買いに来る人はいないのですが、いかんせんコロナは目に見えないので買いにくる人を守るのが難しい。マスク着用と手洗いの奨励くらいしかできることがないのですが、奴らマスクとか普通に素通りしてくるし、手を洗ってても飛沫感染食らったら意味ないしでなかなか難しいところがあるなあとたった今考えています。まあ買いに来てくれる人がいるのかってところからなのですけれども。

好き放題やりますので、今後ともよろしくお願いします。

 

2021/01/01追記

しばらく自分は何のために書いているのかということに向き合っていました。ひとまずは「誰も書いてないから自分が書くしかない」というラインで落ち着いたということで。特に最近の文章はその傾向が強いですね、鬼滅時刻表しかりスマブラSPしかり。ないなら作るしかないというオタク精神を自分の中に再発見した次第であります。